特集 身の回りの毒
毒物(薬毒物)鑑定
岐阜警察本部刑事部科学捜査研究所 主任専門研究員
竹 腰 裕 二(大33)
私は岐阜県警察本部刑事部科学捜査研究所の化学担当として勤務し、化学を応用した鑑定?検査を行っています。
岐阜県の科学搜查研究所には、現在16名の研究員(薬学〈岐阜薬科大学〉出身者2名)が、法医、化学、物理、文書、心理の5つの係に分かれ勤務しています。
担当業務の概要は、法医係がDNA型検査による個人識別、骨の鑑定等、化学係が覚せい剤、麻薬、大麻などの依存性薬物、中毒死事件などにおける薬毒物、繊維、塗膜、油類の鑑定等、物理係が機械?構造物の破損事故、火災の原因究明、刀剣類、銃器?弾丸類の鑑定、交通事故解析等、文書係が筆跡、偽造文書の鑑定等、心理係が容疑者の供述の真偽を判定するポリグラフ検查等です。
また、これらの鑑定業務の傍ら、各自担当業務に関連した研究を行い、自己研鑽につとめています。
さて、最近の治安情勢を見ると犯罪の悪質?巧妙化、ハイテク化、グロ一バル化が著しく、不特定を対象とした無差別殺人事件や食品テロ的な犯罪が発生するなど、犯罪の質的変化も顕著になっています。
また、裁判員裁判制度の導入に伴い、法律の専門家でない裁判員に対して分かりやすい立証を行うことが求められるなど従来にも増して科学的根拠に基づいた客観的証拠が重視されてきています。
科学捜査研究所では事件性(犯罪性)のある物件等について、今曰、話題となっているDNA型鑑定をはじめとした各種鑑定検査を行っていますが、その中でも毒物(薬毒物)鑑定は、最も重要な業務の一つであります。
近年の我が国において薬毒物事件は、松本及び地下鉄サリン事件、和歌山毒入り力レ--事件、中国製冷凍餃子中毒事件を代表として、その他濫用薬物による事件、さらに医療における誤薬事故など多種多様にわたり非常に多数発生しています。
これらの事件の根本的解決の第一手法は、その薬毒物が何であるかを特定することにあります。
次にその量を定量し、その量によって死に至るかどうか等人体への影響が推定でき、さらにその薬毒物の出所や使用法が判明することによって、事件の真相が明確となります。
薬毒物鑑定において、個々の薬毒物についての鑑定法はある程度確立しつつありますが、未知薬毒物についての一斉分析法は完全に確立されているものではなく、多種多様な薬毒物の中から未知の薬毒物を迅速に特定するのは容易とは言い難いです。
近年、ガスクロマトグラフィ--質量分析、液体クロマトグラフィ一質量分析をはじめとした各種機器分析法はめざましく発達し、それにともないμgから今やng、 pg、さらにはfgの微量の薬毒物を分析しうる時代となりました。
そこで、進歩した分析機器をいかに効率的かつ多角的に活用していくかが大きな課題であり、尿、血液などの生体試料をはじめとした分析試料からの薬毒物の抽出等の前処理操作を最適に行うことが非常に重要であります。
鑑定人は「鑑定」を行う時、それぞれが鑑定技術を習得する上で培った経験と知識をもって分析戦略を立てのぞみます。
つまり、「鑑定が迅速かつ正確に行われるかどうか。
」は鑑定人の鑑定技術、知識、能力に左右されるところが大きいです。
薬毒物鑑定において、その知識が豊富である我々薬学出身者は鑑定人としては最適と考えられ、その果たす役割は重要であります。
今後も、日々の鑑定検査業務はもとより、平素より新しい知識、技術の習得にも意欲的に取り組み鑑定人としての総合能力を高めることにより、事件が発生した際には、使用された薬毒物の特定を迅速に行っていきたいと思います。
身の回りの保存剤
日本エンバイロケミカルズ株式会社
保存剤事業部 保存剤研究開発部 部長
吉 田 慎 治(大37)
保存剤は医食住すべての分野で使用されています。
薬学関係では主に医薬品?農薬?食品などでの使用のイメ 一ジが強いのではないかと思います。
今回は、それら以外に使用されている保存剤につき、日ごろ薬剤の開発を行っている立場からご紹介させていただきます。
1.はじめに
私は日本エンバイロケミカルズ株式会社に所属しています。
当社は木材保存剤?工業用保存剤を中心とした保存剤事業と活性炭事業の二つを柱として事業を行っています。
元々は武田薬品工業株式会社の一部門でしたが、2005年に大阪ガス株式会社のグル一プ会社となっております。
活性炭は紹介から外しますが、70年以上にわたり生活用品や食品?医薬品から浄水場やゴミ処理場などの分野で広く活用いただいております。
皆様にとっては保存剤より身近かもしれません。
2.木材保存剤
木材保存剤は、木造建築物をシロアリによる加害や担子菌(所謂キノコ)による腐朽、カビによる汚染などから守る薬剤です。
木材用といえば木造住宅にお住まいの方であれば、シロアリ防除剤が思い浮かぶのではないでしょうか。
シロアリ防除剤の原体は農薬の転用が主です。
現在はネオニコチノイド系やピレスロイド系が主となっています。
昔は「臭い.危ない」といったイメ一ジが強かったと聞いておりますが、最近の薬剤は臭気が少なく、また、撞選択性も高くなっており全体として安全性は高くなっていると考えられます。
農薬の転用と記載しましたが、最近の農薬は必要な時に効力を発揮し、あとは速やかに分解し役目を終えるよう設計されています。
また、体内での蓄積を抑制するため水への溶解度が高くなるよう設計されています。
これをシロアリ防除剤として活用しようとすると、長期の効力が必要とされる点で矛盾が生じます(通常5年保証)。
床下に散布した際に環境を汚染しないこと、居住者や作業者の方に安全であることなどを考慮して開発する必要があります。
剤形として、当社ではマイクロ力プセル化を行い、これら課題に対応しています。
一般家庭以外では、当社の特徴でもあるのですが、木材保存剤が東大寺や法隆寺、嚴島抻社をはじめとする多くの国宝?重要文化財や世界遺産などの木造建造物に使用されています。
東海地方での著名な最近の施工事例としては、架け替え工事が行われた伊勢神宮宇治橋があります。
また、大学の地元岐阜では外装用の木材保護塗料(木材保護と美観維持を機能に持つ塗料)が高山の伝統的建造物群保存地区で活用されています。
文化財の保存に関しては、50年近くの施工実績があります。
薬剤開発に当たっては、文化財保護の一翼を担えるという社会的な意義を感じながら、効力はもちろん安全性や環境にも配慮することを重視して進めています。
3.工業用保存剤
工業用保存剤というと聞きなれない言葉だと思います。
工業用保存剤は建材?繊維?製紙?塗料など様々な分野で、原材料から完成品に至るまで、カビ?藻?細菌などの発生による汚染被害を防止し、製品衛生と品質確保のために使用されています。
身の回りでは、例えば、ボ一ルペンやプリンタ一のインキ、壁紙や壁紙の接着剤、プラスチック製品などに使用されています。
最近は、水性塗料がVOCの観点から増えていますが、製品保管中に腐敗しないように防腐剤が添加されます。
この用途ではあくまで保管中の防腐が目的ですので、必要最小量が添加されます(例えば数十ppm)。
一方、塗装後に防力ビ?防藻などの効力を発揮させる場合には、期待する効力に合わせ配合されることになります。
薬剤としては有機系が主ですが、最近では用途によっては銀やプラチナなどの無機系も使用されるようになってきました。
4 .まとめ
ここで紹介させていただきました保存剤は適正に使用されて、はじめて想定した効力や安全性が確保されます。
間違った使用で「毒」となってしまわないようしなければなりません。
啓蒙活動の一例ですが、当社では、使用対象者により一般紙や専門誌などの紙媒体での紹介や、HPでの紹介、HPやフリーダイヤルでのお問い合せに対応しています。
今回ご紹介させていたただきました保存剤は、公衆衛生の観点から薬学と結びついています。
今回の内容が少しでも参考になるようでしたら幸いです。
学校にできること、薬剤師にできること
文部科学省スポーツ?青少年局学校健康教育課 健康教育調査官
北 垣 邦 彦(大37)
文部科学省スポ--ツ?青少年局学校健康教育課は、学校における子どもたちの健康?安全を守るための業務を行っています。
子どもたちの健康?安全を守るために学校がすべきこと、できることは、大きく 二つに分けられます。
一つは、学校における児童生徒等及び職員の健康の保持増進を図り、教育活動が安全な環境において実施されるように保健?安全管理を行うことです。
学校における保健管理に関する専門的事項に関し、技術及び指導に従事するものとして学校医、学校歯科医及び学校薬剤師が置かれています。
岐阜薬科大学卒業生の中にも学校薬剤師として活躍いただいている方が多数おられます。
また、「九重」にこれまでも学校薬剤師の活動が取り上げられていますので、ご一読いただければと思っています。
もう一つは、生涯を通じて自らの健康を適切に管理し、改善していく資質や能力を育てる教育を行うことです。
それには、情報を収集し正しく理解し判断する力を育成していくという視点が必要です。
つまり、リスク評価ができるようになることが大切であると考えます。
「すべてのものは毒である。
そして、その毒性は量で決まる。
」とは、14世紀の内科医パラケルサスの言葉です。
これは、毒性学の基本的な考え方であり、毒性評価を踏まえ行政的な管理基準が定められ、リスク管理に役立てられています。
科学的には、この管理基準等がリスク評価の基本です。
一方、精抻医学者フロイトが指摘しているように「私たちは、正体が分かっているものに恐怖を感じ、正体が分からないものには不安を感じる。
」というのも一般的な心理感情だと思います。
つまり、私たちはリスクのある中で生活し、どこかで妥協しているのです。
一般に正体が分からないものに対して、信頼にたる人や機関等による適切な情報提供がなされない場合に人はゼロリスクを求める方向に動かされます。
それが、リスクコミュニケ一ションが重要であるといわれる所以です。
例えば、牛海綿状脳症(BSE)に対する検査やトランス脂肪酸の食品中の含有量の表示義務化などは、近年我が国における世論の不安に対して行政が行ってきた対策です。
これらの対策をとるまでのリスクコミュニケ一ションの在り方や対策の実施により、健康被害がどれだけ予防できたのか、その費用対効果はどうであったのかなどの評価がなされることが期待されます。
現在の「身の回りの毒」と認識されている「放射性物質」については、原子力発電所から放射性物質が放出されることはあってはならないことなので、放射性物質による健康影響に関するリスクを他のリスクと比較することには配慮が必要です。
しかし、個人がリスク評価を行う参考とするために放射性物質のモニタリング情報や科学的な基本情報を理解してもらうことは大切です。
昨年、文部科学省では、「福島県内で一定の放射線量が計測された学校等に通う児童生徒等の日常生活等に関する専門家ヒヤリング(議事概要はホ一ムぺ一ジから読むことができます。
)」を開催しました。
そのヒヤリングで「国際的な合意は、世界中の論文を世界の専門家が検討した結果であり、検討経過も示されている。
この合意に十分な根拠をもって反対できる科学者はおらず、個々の専門家の十分に検討されていない言動は社会を混乱させる。
議論は科学の場で行い、社会には科学的な合意を発表することが科学者の責務である。
」旨の発言がありました。
行政官として科学者の合意を広報する立場になった私には大変心に響きました。
放射性物質による健康影響については不明なことがあるといわれていますが、岐阜薬科大学で科学を学んだ私たちは、現在の科学には限界があることを理解した上で、科学で分かっていることもたくさんあることを知っているはずです。
学校薬剤師をはじめとした地域に根ざした薬剤師により適切な情報が発信されることを期待しています。
リスクコミュニケ一ションが適切に成立するためには、情報発信者が信頼されることが不可欠ですが、個人が適切にリスク評価できるようになることも大切です。
これは言葉としては明確ですが、この目標達成は極めて難しいといわざるを得ません。
例えば、学校教育では、「身の回りの毒」であるたばこ、酒類、依存性薬物については、未成年者の喫煙や飲酒、薬物乱用が、法律で禁じられていることから「ゼロリスク」すなわち「ダメ!ゼッタイ!」を求める予防教育に重点が置かれ、リスクの概念を教育する方向にあるとは思えません。
一方、今年度から中学校において医薬品に関する教育が始まりました。
副作用のない医薬品はないといわれることからも、リスクについて考えるきっかけになるのではないかと期待しています。
学校における医薬品に関する教育の充実には、薬剤師や薬科大学等の協力が重要になると考えています。
岐阜薬科大学と卒業生がその一翼を担っていただけることを期待しています。
身近な天然毒-ニュースになった毒-
岐阜薬科大学 薬用資源学研究室 教授
田 中 稔 幸(大26)
天然物化学の試験で「アル力ロイドとは何か」という出題することがある。
はっきりいってボーナス問題なのだが、「毒。
体に悪いもの」というおよそ薬学生とは思えないような解答が少なからず出てくる。
また、薬草園で植物の説明をしているときに「それは毒草ですよ」というと多くの人は触っている植物から手を引っ込めたり、また身構えたりするのがごく普通の反応である。
2012年7月15日、宝塚市で花壇の手人れをしていた小学生児童7人が目に痛みを感じ、病院へ搬送された。
その原因は花壇に植えられていたイソトマの汁が目に入ったためだとされた。
教育委員会はイソトマへは近づかないように指示し、最終的に宝塚市はイソトマを除去したという。
このニュースについて少し考えてみよう。
イソトマはキキョウ科に属し、園芸植物としてよく知られているロべリアに近縁の植物である。
その成分としてはアル力ロイドであるロベリンなどを含むとされている。
インタ一ネットを検索すると汁が目に入ると失明することもあるなどと、なにやら物騒な記載もされている。
宝塚市の事件では状況的にはイソトマが原因とするのが妥当だと思うが、100パ一セントそうとも言えない。
花壇の手人れをするとさまざまな植物や土をさわったりする。
イソトマに限らずともいろいろさわった手で夏の暑い時期に汗をぬぐったりしてそれが目に人ったりすることもあろう。
それはともかく宝塚市が「犯人」と思われるイソトマをすべて除去したというのはどうであろうか。
人は意外にも多くの毒に囲まれて生活しているのだが、不必要に怖がったり、逆にあまりにも不用意であったりする。
言葉を変えると「訳もなく怖がる」のでなく、妙な表現であるが「正しく怖がる」ことが大切なのである。
毒とは「体に悪いもの、怖いもの」というのが漠然とした一般的なイメ 一ジであり、確かに私など「飲みすぎは体に毒」などとよく注意される。
こういったイメージにおいては冒頭の学生の答案もあながち間違いとはいえない。
ここではもう少し科学的に毒を考えてみたい。
それでは毒とはどう定義されるのか。
普通、人間について考えてしまうが、一般に「生物の生命活動にとって少量?微量で不都合を起こす物質の総称」と説明がされる。
つまり、人間とは限らないということである。
エゴマは人にとって食品だが、シカにとっては毒草であるという生物種差もある。
また、食塩はなくてはならないものであるが、過剰量を摂取した場合死に至る。
しかし、塩を毒に分類することはない。
危険性という言葉で考えるなら食塩は、ハザ--ド(hazard)はあるがリスク(risk)は低い物質である。
また、毒=有害物質というイメージで捉えられることが多い。
冒頭の試験問題でのアルカロイドを例にとると、アル力ロイドは生物に対してさまざまな不都合な作用を示すが、一方モルフインとかべルベリンといった多くのアルカロイドは重要な薬用成分であることは説明するまでもないだろう。
また、一定の昆虫に対する毒である殺虫剤というのは、人にとっては生活環境の改善に役立ったり、質の良い農作物をという得ることができる有用物質である。
花が植物の顔だとすれば、植物が作り出す化学成分は独特の言葉といえるかもしれない。
進化という長い歴史は経て息づく言葉である。
毒性といった生物活性は自然が発するメッセージである。
後に繰り返すことになるが、私たちが自然とつきあうということは自然を知り、正しく向き合うことである。
私が与えられたテ一マである身近な天然毒toxin (--般に天然毒素)について、新聞などに報道された事件を例にしてあげながら紹介したいと思う。
植物による中毒
岐阜新聞2011年4月30日付の記事で「郡上市の農産物直売所で購人した山菜ハンゴンソウを食べた家族のうち2人がめまいなどの中毒症状を訴えた。
調べたところハンゴンソウとして売られたパックの中身は多くがハシリドコロであった。
販売した人は20年以上も採集の経験がある男性だった。
」といった事件が報道された。
説明の必要はないと思うが典型的なアトロピン(ヒヨスチアミン)中毒である。
実際に問題になった商品の写真をみると色合いもそっくりで間違えたのも納得がいく。
その道20年のベテランが間違えるのも無理からぬことだと思う。
天然毒による誤食は山菜と有毒植物の形態が似ていることから起こることが多い。
2012年4月には函館市でニリンソウと間違えてトリ力ブ卜を誤食し2人が死亡するという事件が起こっている。
トリカブトはニリンソウの他にセリ、ヨモギ、ゲンノショウコなどと間違えられることも多い。
ここで個人的な見解を述べさせていただく。
ニリンソウは山菜とされているが、ニリンソウが属するアネモネ属植物には基本的に有毒化合物アネモニンに変化するプロトアネモニンを含んでいる。
十分な処理をすれば問題はないのだろうが、基本的にはロにしない方が良いと思う。
形態が似ていて誤食するケースで毎年のように起こるのはスイセンである。
今年も北海道旭川市でスイセンとニラを間違えて卵とじにして食し、家族5名が中毒を起こした事件が発生している。
スイセンとニラの葉は確かに良く似ている。
ただ、スイセンにはニラ独特のにおいがないので少しの知識を持っていれば事件は防げたはずである。
スイセン、夕マスダレは鱗茎が夕マネギと間違えられことも多い。
スイセン、夕マスダレの中毒成分はアル力ロイドのリコリンである。
リコリンはアル力ロイドの中でも比較的毒性の低い化合物で誤食した場合も死に至ることはほとんどないが、非常に強い吐き気を催す。
岐阜県で良く発生する誤食事件はバイケイソウ類とオオバギボウシのケースである。
2010年4月にも大垣市で男女3名が血圧降下などの症状を訴えて人院するという事件が発生している。
バイケイソウとオオバギボウシはともにユリ科(APG分類系ではシュロソウ科とキジ力クシ科)で芽生えの形態は良く似ている。
バイケイソウの毒成分はステロイドアルカロイドである。
アル力ロイドによる自然毒中毒で「苦いものは体に良い」という俗説が中毒を悪化させる場合が多い。
天然物の苦味成分はアル力ロイド、テルぺノイド、ポリフェノールなどがある。
苦いのは体に良いということで、必要以上に食して後で苦しむことになる。
苦いものはかならずしも良薬となるわけでなく、天然物の分布の割合から考えると有毒なものが多いことを忘れてはいけない。
最近、家庭菜園と花壇をおなじ庭に作って豊かな生活を楽しむ人が増えてきた。
同時に前述のスイセンとニラのような誤食事件の可能性も増加してきている。
そのような事件で最も深刻な例を紹介する。
それはユリ科(APG分類系ではイヌサフラン科)に属するグロリオサに関わる中毒事件である。
グロリオサはアル力ロイドであるコルヒチンを高含量で含んでいる。
鮮やかな花をつけ花束などにも良く使われ目にされた方も多いと思う。
問題はこのグロリオサとヤマイモの誤食事件である。
二つの植物の根は形態的に良く似ているが、ヤマイモはご存知のように摺ると粘り気が出るがグロリオサでは起きない。
この簡単な性質さえ知っていれば事件は防ぐことができる。
不幸なことにグロリオサの中毒は死に至るケースが多く、両者を同時に栽培する場合は細心の注意を払うべきである。
同様なことはやはりコルヒチンを含むイヌサフランについてもいえる。
イヌサフランの場合、多くはギョウジャニンニクと誤食されることが多い。
この項の冒頭で紹介したハンゴンソウについて少し話を付け加えたい。
ハンゴンソウはキク科の植物であり、山菜の中で一番おいしいという人もいる。
また、インタ一ネット上では無毒な植物として紹介されていることが多い。
キク科植物には山菜として知られているもが多い。
例えば、ハンゴンソウ、フキ(フキノトウ)、ツワブキ、ベニバナノボロギクなどである。
さて、これらの植物にはキク科ということの他に別の共通項を持っていることがご存知であろうか。
実はこの4種には肝毒性の強いセネシオニンやセンキルキンといったピロリチジンアル力ロイド類が含まれおり、これらの有毒成分を含む植物を家畜が食べて中毒死する事件も海外では報告されている。
この有毒のピロリチジンアル力ロイド、実は一時期健康食材の代表格としてもてはやされたコンフリーにも含まれ、現在ではコンフリーの摂食は控えるようにとの通達も出されている。
個人的な意見だが、ムラサキ科の植物には基本的には類似アル力ロイドが含まれており経口すべきでないと考えている。
以上のことを紹介するといろいろ心配される方も多いかと思うが、伝統的な灰汁抜きをしてまた調理をしていればこれらのアル力ロイドが食材に残ることはほとんどない。
東南アジアの食材として知られているキャッサバは青酸配糖体であるリナマリンを多く含む種があるが、伝統的な処理法で毒抜きをして食に供されている。
また、ヒガンバナやソテツは有毒植物であるが、救荒植物として知られ、祖先たちはどのようにしたら毒が抜けるかを経験的に知っていた。
毒草に対するリテラシ一を持っていたということである。
大事なことはワラビ(発がん性の強いプタキロサイドを含む)もそうであるが、よく知られた山菜でも処理しなければ場合によっては毒草になってしまうということを知っておくことである。
毒性の強さでもトップクラスにあるこの植物に近縁なものが、身の回りにある。
それはカロライナジャスミンである。
カロライナジャスミン(Gelsemium sempervirens)は正倉院薬物として知られている冶葛(Gelsemium elegans)ほどの毒性はないものの経口するとかなり危険である。
2006年には前橋市で「ジャスミン」と間違えて飲用し事故が起きている。
外国産の園芸植物の和名をつける際に多くの人が知っているものを例えに出すことが少なからずある。
2010年川崎市では「力ラシダネ」という植物を一家で食したところ中毒症状を引き起こす事件が発生した。
実はこの「カラシダネ」はキダチ夕バコ(Nicotiana glauca)であって、家族はニコチン中毒を起こしたのである。
外国産の園芸植物が多く輸入される昨今、和名(商品名)を付ける場合は誤解を生じないよう に関係者は注意を払うべきであろう。
キノコによる中毒
植物以上に形が似ているために起こるのが毒キノコの誤食である。
2010年10月、墨田区の錦糸公園で開催された「すみだまつり」の長野県物産展で「クリタケ」と間違って「ニガクリ夕ケ」を販売し、回収できなかった商品もあり、注意勧告が出された。
ニガクリタケは非常に苦味の強いキノコで地域によっては毒抜きをして食すらしいが、場合によっては致死に至る。
化学成分としてはトリテルペンのファシキュロ一ル(fasciculol)類が単離されているが、これが致死成分であるのかは不明のようである。
キノコ中毒の中でもとりわけツキヨタケによる中毒は毎年のように発生している。
ツキヨ夕ケはその名の通り発光することで有名であるが、シイタケ、ヒラタケ、ムキタケと間違えて中毒事件が起こっている。
その中毒成分はィルジンS (illudin S)などのセスキテルペンである。
ツキヨタケの他にしばしば誤食中毒が報道されるものにクサウラべニタケとカキシメジある。
クサウラべニタケの事件の場合、専門業者が採取したものを購入したものが原因となることが多い。
主な毒成分としては、クサウラべニタケがムスカリン、カキシメジがウス夕ル酸とされている。
このように食用と有毒キノコの区別は専門家でも間違うほど難しいことがわかる。
有毒植物でも同じことがいえるが、知らないものをロにすることは絶対控えるべきであるし、なにより自然の味を楽しむには、植物やキノコを良く知る、つまり自然を良く理解することが必要である。
自然の恵みを受けるには、それなりの努力が求められるということである。
前述のように多発するキノコ中毒は、ツキヨタケ、クサウラべニタケ、カキシメジの場合が多いが、これらの場合は基本的に死に至るものは少ない。
しかし、毒キノコの中には植物とは比較にならないような毒性の高い成分を持つものが多く存在する。
"一般に毒キノコ御三家、三大毒キノコと呼ばれるのが、「ドクツルタケ」、「夕マゴテングタケ」、「シロタマゴテング夕ケ」である。
この3種はいずれもテング夕ケ科 テングタケ属(Amanita属)に分類され、有毒成分として環状ペプチド、アマニチンなどのアマトキシン类直(amatoxins)を持っている。
少し前の事件(1994年)になるが、名古屋大学に留学していた中国人家族が東山植物園で採取したキノコを食べたところ、長男が死亡したと報道された。
この時のキノコがドクツルタケあるいはシロ夕マゴテングダケというだということである。
都会のオアシスである身近な植物園にもこのような有毒キノコがあることを知っておく必要がある。
魚介類による中毒
魚介類の毒による食中毒といえば、誰もが思い出すのがフグによるものであろう。
フグの毒は説明の必要もないであろうが、テトロドトキシン。
その構造解明研究には本学の卒業生が深く関与しており、ご存知の方も多いと思うが紹介させていただく。
1964年第3回IUPAC (国際純正応用化学連合)の天然物化学の会讓が京都で開かれた。
その当時を代表する世界的な天然物化学者が京都に集結し、日本の若い研究者は著名な研究者たちの発表をどれも聞き逃すまいという気持ちでいた。
そして、この京都大会の最大の話題はフグ毒テトロドトキシンの構造が同時に別々の3グループで発表がなされたことであった。
名古屋大学の平田グループ、東京大学の津田グループそしてハーバ一ド大学のウッドワ一ドのグループの研究チームは、違う方法論でまったく同一の構造を導き出した。
この発表には多くの若い天然物化学者たちが感銘を受けたといい、曰本の天然物化学が世界レベルに達していることを実感し、大いに勇気づけられたとのことである。
当時の発表要旨を見ると、平田義正名古屋大学教授の研究グループの筆頭に後藤俊夫先生の名前を見つけることができる。
後藤先生は、昭和24年岐阜薬学専門学校(現岐阜薬科大学)を卒業され、同級生であった柿沢寛先生(筑波大学名誉教授)とともに、名古屋大学理360足球比分に入学、平田義正先生の研究室の門を叩かれた。
平田先生のもとには俊英が集まり、名古屋大学は世界に誇れる天然物化学研究のメッ力のひとつに数えられた。
山口県出身の平田先生はフグ毒の構造解明に名乗りを上げたが、まず当時の化学技術の土俵に乗せるだけの量を確保することに苦心された。
あれこれ工夫をこらしても思うようにいかない日々が過ぎるばかりであった。
フグ毒の大量抽出で苦戦を強いられている頃、アメリカのフィーザー教授のもとへ留学されていた後藤先生は、帰国後フグ毒研究を引き継ぐことになった。
後藤先生はメタノール抽出した後に濃縮を行うと生体成分であるタンパク質が分解してアミノ酸やペプチドが生成し、それがイオン交換樹脂の能力を低下させることに気づいた。
つまり、いかにしてタンパク質を除くかが抽出の鍵であるということである。
良く考えてみるとフグ鍋でも中毒は起きる。
そこで後藤先生は水と加熱しても毒は変化しないのではと思い立ち、フグの卵巣を一斗缶に入れそれをガスコンロにかけ、沸騰したら直ちに熱変性した夕ンパク質を吸引ろ過で除去する方法を試すことにした。
その結果、淡黄色のろ液が得られ、これをアンパ一ライドIRC50という陽イオン交換樹脂に通すときわめて効率よくフグ毒が吸着されることを見出すに至り、ようやくフグ毒を化学の土俵に引っ張りあげることに成功したのである。
後藤俊夫先生は生物発光の研究にも大きな寄与をされ、とりわけ長崎から研究生として平田門下生となり、後にノーベル化学賞受賞された下村脩先生とは同い年であったこともあり、共同研究を通して交友を深められた。
下村先生のノーベル化学賞受賞を報じる当時の中日新聞には、若き日のお二人がならんで実験に励まれている写真が掲載されたのでご記憶のある方も多いと思ぅ。
後藤先生はその後もツユクサの青色色素をはじめたいへん美しい仕事を残された。
青色色素コンメリニンの仕事を見届けるかのように急逝された後藤先生の天然物化学に対する意志は多くの門下生により引き継がれ多方面で花開くことになった。
後藤先生をはじめとする平田門下の研究にはいずれもうつくしい物語に彩られている。
同じ分野を志している身としては、圧倒的な才能の差を感じざるを得ない。
アングラ一たちの肝を冷やす事件が増えてきている。
今年の4月7日付けの共同通信発の記事をごらんいただきたい。
「長崎県は7日、ブダイ科の魚「アオブダイ」を調理して食べた同県新上五島町の男性(78)が食中毒の疑いで死亡したと発表した。
県はア才ブダイの肝臟などに含まれる猛毒パリトキシンによる食中毒とみて原因を調べている。
」 厚生労働省によれば、アオブダイによる事件は1953年から2009年にかけて、少なくとも35件の食中毒の記録があり、患者総数115名で、そのうち5名が死亡している。
アオブダイは沖縄ではイラブチヤ--といわれ食用にされるが、毒化するものとは魚種が違う。
さて問題の毒成分パリトキシン、これは最初にイワスナギンチヤクという腔腸動物から単離され、名古屋大学の平田義正、ハーバード大学の岸義人博士らおよびハワイ大学のMooreらにより構造決定、全合成された非常に複雑な分子である。
岸博士の全合成の最も重要な部分に、ノーベル賞受賞の対象となった鈴木-宮浦カップリングが使われたことでも有名な化合物として知られている。
さてこのパリトキシン、後の研究により、フグ毒のテトロドトキシンをはじめ海洋生物の毒の多くがそうであるようにイワスナギンチヤクが自ら生産するのでなく、共生生物由来のものであることがわかった。
同時にパリトキシンで毒化する魚類も次々に見つかってきた。
ブダイ科アオブダイ属のアオブダイ、ハコフグ科ハコフグ属のハコフグ、ブダイ科ブダイ属のブダイ、ハコフグ科コンゴウフグ属のウミスズメ、ハ夕科マハタ属の魚類などである。
釣り魚で中毒報告例が増えているのがシガテラ中毒である。
2008年三重県南伊勢町で釣ったイシガキダイを食べた3人がこのシガテラ中毒を起こす事件があった。
シガテラ中毒のその主な症状は下痢などの一般の食中毒の他にドライアイスセンセ一シヨンという、水に触れるとドライアイスに触れたように冷たく感じ温度知覚異常を引き起こすことである。
シガテラ毒としてはシガトキシンが知られている。
シガトキシンの毒性は高いが、シガテラ中毒の際、摂取する量は少ないので死亡につながることは基本的にない。
シガテラは従来、熱帯地方に発生するものだという認識であったが、三重県の事例でもわかるように地球温暖化のためか発生地が年を追って北上している。
シガテラ中毒の原因魚は、例えば捕獲量が多い沖繙では出荷前に厳密な選別をしているので心配はないが、冒頭で述べたように釣り魚として食べられた例が年々増加の傾向にある。
シガテラ中毒は死には至ることは少ないものの、先に述べたドライアイスセンセ一ションは短期間ではもとにもどらないようで、アングラ一たちは、違って意味での目利きになる必要がある。
天然毒の話の最後として、海から生まれた薬について紹介したい。
生物の多様性の高さでいえば、陸上よりも海洋生物の方がはるかに高い。
したがって化学多様性も高くなり薬学的に考えると、有望化合物が見出される可能性も必然的に高くなる 1986年名古屋大学の平田教授と上村大輔博士らはクロイソカイメンから非常にユニークな超微量成分の単離?構造決定に成功した。
ハリコンドリンがその成分に与えられた名前である。
ハリコンドリンは7種の物質からなり、600kgの材料からもっとも多いノルハリコンドリンAの35mgで、その他のもののほとんどが10mg以下の収量であった。
この単離成分のうち、ハリコンドリンBはメラノ一マB16に対して、IC500. 093ng/mLという強力な細胞毒性を示した。
このハリコンドリンBはその構造のユニークさはもちろん活性の強さに多くの研究者の興味をひきつけることになった。
しかし、このハリコンドリンが「薬」になるには大きな壁が立ちはだかった。
天然物でたえず問題となる含量の低さである。
不斉炭素の数も多く、どうみても合成で調達できるようなしろものでもなかった。
カイメンを人工的に繁殖 させる手段も有効な解決策にはならないようだった。
多くの研究グループの努力も実ることなく1990年終わりにはハリコンドリンBが「薬」になる可能性はないように思われていた。
海洋天然物は地上生物では見ることのないユニ--クな構造を持っものが多く、魅力的な活性を持つものが多くあるが「薬」という実用化は、一部の化合物が生物化学のブローブとして使われる以外は構造の複雑さと含量の低さというなかなか超えられない壁の前に阻まれるのが常であった。
海洋天然物は、構造はおもしろいが「役にたたないのでは」というあきらめに似た感情にとらわれていた研究者も多かった。
ところがハリコンドリンの研究にはそんな天然物化学者の悲壮感をうちやぶるドラマが待っていた。
ハリコンドリンBは平田義正教授の門下でテトロドトキシンの全合成を達成した岸義人ハーバ--ド大学教授らにより1992年に全合成された。
その全合成の際に作られた中間体の中にハリコンドリンの活性に匹敵するものが見出されたのである。
この中間体といえども、立体化学をコントロ一ルして量産することはかなり困難であった。
しかし、岸義人教授の協力のもと、エーザイ研究陣は研究を重ね、ついにエリブリンを世に送り出すことになった。
エリブリン合成は多段階工程が必要で、今井俊尚氏(大学30回)によると一回のロットを合成するのに1年半かかるということである。
いずれにせよ、海洋天然物は薬にならないとあきらめかけていた化学者たちはこの快挙に大いに励まされる結果となった。
エーザイの研究陣には最大の敬意を表したい。
最後に紹介する話はイモガイにまつわるものである。
イモガイは形がサトイモに似ていることからその名とられているが、表面の模様も多彩でうつくしいものが多く、この貝を専門に集めるコレクタ一もいる。
聞くところによれば、かつてフュルメールの絵よりも高価な値段で取引されたものもあったという。
ところでこのイモガイは肉食性で歯舌を発達させた矢舌と呼ばれる毒銛で毒を注入させ、魚などを捕食する。
実はこのイモガイ類はたいへん危険な生物なのである。
イモガイの中でもアンボイナの毒は非常に強い神経毒である。
さされた際の痛みあまり感じないが、やがて呼吸麻痺などを引き起こし、数時間程度で死にいたる例もあるという。
一人海の中の散歩をしていてアンボイナに剌されたら、まずは生還できないといっても良いだろう。
統計によると30名以上がアンボイナのために命を落としているとのことである。
かくも恐ろしいイモガイの毒の正体は何か。
それはコノトキシン(conotoxin)と呼ばれるペプチド化合物である。
コノトキシンはアミノ酸11-30個からなる分子量の小さなぺプチドの混合物である。
このコノトキシンは創薬分野でここ数年もっとも注目を浴びた化合物なのである。
というのは、この有毒ペプチドの中にモルヒネをはるかに上まわる鎮痛活性を持つものが見つかったからである。
しかもモルヒネが抱える中毒症も認められないというすぐれた特徴を持つ。
コノトキシンはハリコンドリンのような複雑な構造でなく、アミノ酸からできているため類縁体合成も容易なため、多くの研究者がコノトキシンに注目し、ついに一般名ジコノチド(zicotinode)が2004年、米国食品医薬品局(FDA)に鎮痛剤として認可され、ついで2005年、European Commissionから薬として販売が許可されたが、いまなおコノトキシンに関連する研究が活発に行われている。